07??ループ

◆ループ

 

目覚めると、真っ暗な部屋の中にいた。

目が慣れて来たころ、ここが自分の部屋であることを思い出した。

天井にぶら下がっている蛍光灯は、外からの光で薄っすらと形がわかる。

時間を確認するために、右手だけを持ち上げて携帯を探す。携帯の感触があった。

感触はあったが、携帯は持ち上がっておらず、首も回っていない。そもそも、私は腕を上げてすらいなかった。

 

・・・

 

目覚めたので時間を確認しようと右腕をもちあげる。携帯の場所はわかっているので、あたりをつけて拾い上げた。

ホームボタンを押しても反応がない。液晶にも当然何も映ってはいなかった。

押し込まれるタイプのボタンではないので、充電が切れていたりするとボタン部分がただの板になる。そういうときに少し虚しい気持ちになる。

そもそも腕が上がっていないので、携帯を持ち上げてもいないし、ホームボタンを操作しているはずも無いのだ。

 

・・・

 

暗い部屋の中で目覚めた。携帯で時間を確認する。当然できなかった。

充電が切れているのか、ホームボタンも反応しない。なんとなくわかっていた気がする。

これは多分間違った行動なのだ。

行き止まりだ。

 

・・・

 

目覚める。

携帯の電源は入らない。液晶画面も真っ暗になっている。

まずは部屋の電気をつけよう。

起き上がって、部屋の電気をつけよう。

体が重い。硬直しているかのようにどこもかしこも動かない。

このままずっと動かないのかもしれない。

 

・・・

 

目覚めると真っ暗な部屋にいて、とにかく部屋の電気をつけようと思った。

部屋に明かりが戻れば大丈夫だ。きっと大丈夫になる。

小指から順番に折りたたんで、人差し指まで畳んだらまた小指から開いていく。

ゆっくりと指先をほぐしてから、慎重に起き上がった。

すべての動作はできるだけ緩慢にしなければならない。

そうしなければ先に進まないのだ。

ベッドから床につま先を移動させた瞬間、目覚めた。

元の場所に寝転んだままだった。

 

・・・

 

目覚めた。

起き上がれない。

掛け布団が重すぎるのかもしれない。

ベッドの下にでも転がり落ちて、這っていけばそのうち立てるようになるかもしれない。

とにかく電気をつけなければならない。明かりさえあればなんとかなる。

床を這って、壁によりかかりながら立ち上がった。

蛍光灯の紐を引く。

部屋は暗いままだった。

 

・・・

 

蛍光灯の紐を引く。

蛍光灯の紐を引く。

蛍光灯の紐を引く。

蛍光灯の紐を引く。

明かりはつかない。

自分の体はベッドに横たわったままだ。

 

・・・

 

明かりはつかない。

 

・・・

 

おそらく寝室は電球が切れているのだろう。

居間まで行ってみよう。

向こうの部屋ならきっと大丈夫だ。

体が重い。視界は暗いままだ。

床を這って移動する。いやに柔らかい。

手や足は本当に動いているのだろうか。末端に意識を集中する。

 

・・・

 

気がつくとベッドの上であおむけになっていた。

やるべきことは決まっている。

 壁伝いに隣の部屋までたどり着いた。

スイッチを入れる。明かりはつかない。

紐を引いてみる。

何度も引いた。何度も何度も引いた。

部屋は暗いままだ。

 

・・・

 

・・・

 

・・・

 

玄関に非常用のライトを設置していた。

あれは電池式だ。停電でも明かりは点くはずだ。

明かりさえあればこの状況から抜け出せる。

ベッドから這い出して玄関へ向かう。

玄関には誰かの影があった。

 

・・・

 

玄関に非常用のライトを設置していた。

あれは電池式だ。停電でも明かりは点くはずだ。

明かりさえあればこの状況から抜け出せる。

ベッドから這い出して玄関へ向かう。

ライトはつかなかった。

 

・・・

 

 

 

 

0803口論

◆口論

 

さいきん、数年ぶりに隣人が越してきた。

むかし隣室に住んでいた家族が入居後一年ほどでどこかへ引っ越してしまって以来のことなので、久しぶりの感覚に戸惑っている。

 

・・・

 

私はいまの入居者の中ではおそらくもっとも長くこのアパートに住んでいるはずだが、実はこれもはっきりしない。一人くらいは私よりも長いかもしれない。

というのも、人付き合いというものを厭うあまり、入居して五年以上経過しているような住人ですら、顔はおろか声も覚えていないのだ。性別くらいはわかるかもしれない。

たとえば、何かの習い事で作ったという謎の縫製作品*1が手紙付きでドアノブにくくりつけられていたり、来客時に廊下で待ち伏せしてきたりなど距離感がバグっているエピソードもないわけではないが、たいていは人物ではなくエピソードとしての記憶だったりもする。

当人が自分の部屋の扉から顔を出している状態であれば、アアこの部屋の人なんですねと思い出す程度だ。

駐車場の空きスペースが埋まるようになったとか、怒号が多く飛び交う様になったとか、そういう曖昧な情報を取り入れた瞬間だけアップデートされるが、半分くらいは次の瞬間に忘れている。

私は誰ひとりとして近所人の名字すら知らないが、相手は私の顔も名前も知っているし、同じ建物内にすら住んでいないご近所も私の存在を認知しているらしい。

正直なところ、かなり恐怖を感じている。

 

・・・

 

深夜、暗い部屋で横たわっていると、押入れの奥から明瞭な会話が聞こえてきた。

幼児のはしゃぐ声、それをたしなめるような母親のセリフ。

男女の仲睦まじげな声、足音。

おそらく場所は隣家の寝室だ。

今までそんな物音は聞こえたこともなかった。

きっと隣人はこちらに単身赴任にでも来ていて、今日は家族が遊びに来たのだろう。

盗み聞きをしているようできまりが悪かったが、かといってすぐに起き上がる気力はなく、興味本位もあったのでそのまま放置することにした。

しばらくすると、私に対する不満や愚痴の話題になった。

向こうにもこちらの生活音がすべて聞こえているようで、とかく不気味だとか、夜中に歩き回るだとか、観ている映画の果てまでも気に食わないようだった。

いくつかは他の住人による罪をなすりつけられていた。

申し訳ないような気持ちになりながらも、こちらだって今まさに丸聞こえな上、幼児の叫び声にまで我慢しているのにその言いぐさは無いんじゃないかと内心で反論していたら、隣人夫婦の声質がまるっきり両親のものであることに気がついた。

ふと時計を見ると、まだ夕方だった。

 

*1:特定される可能性をおそれすぎてボカしています

0604映画館とゲームセンター

映画館にいた。

 

私はどこかの温泉施設からの帰りだったらしく、ぬるま湯の張られたケロリン桶を二つ両脇に抱えたまま座席に腰を下ろした。

映画の内容はまったく覚えていなかった。

覚えてもいない映画に感動して泣きじゃくりながら、洗面器の水を飲み干した。

すると右隣の席から「うるさいよ。何飲んでんの」という声が聞こえてきた。

強い避難めいた声色に怯みながらそちらを伺うと、TKO木下*1だった。

そう言っている自分自身といえば背中を丸め、座席に浅く座ったまま不機嫌そうに貧乏ゆすりをしていて、そちらの方が他の人に迷惑だろうと内心で思っていた。

木下の尻と背もたれの間に隙間があったので、

「どうもすいませんね」

などと言いながら洗面器をねじ込むと、悪態をつきながら席を立っていった。

振り返るとすっかり消えてしまったようで、もはやどこにもいなかった。

 

映画はクライマックスのようだったが、既にどうでもよくなっていた。はやく終わればいいのにとすら思った。内容はやはり覚えていなかった。

ようやく映画が終わると、今度はなにかの予告編が始まる。奇妙なアプリにまつわる映画だった。

なんでも、目的地までの距離、方向のみを表示する地図アプリなのだそうだ。

自分が通った経路周辺のCGだけが表示されていく。道を誤ったりして分かれ道まで引き返すと、先ほど通った道は画面から消去されるという寸法らしい。

主役である男女が口喧嘩をしながらも、目的地を目指し旅をするというロードムービーのようだった。

普段なら興味を持たないようなこの映画に、なぜか強烈に惹きつけられた。公開日にはかならず見に行こうと心に誓うほどの魅力を感じていた。

どこがそんなに良いのか自分でも全くわからなかった。どこかで「くだらない」と思っていたのも確かだ。

監督はたけしで(彼の映画はほとんど観ないが、こんなストーリーの映画を作るわけがないことだけはわかる) 、いつの間にか先ほどまで木下が座っていた席についていた。

座席には相変わらずケロリン桶が置かれているが、気にしている様子はなかった。

さすが大御所だなと思っていると、

「いやあ、苦労したんだよね。あの仕組み作るの」

と話しかけてきた。この映画のために作ったアプリなんだそうだ。

感心していると、映画館の舞台にキャストが登場した。さいきん、サブスクリプションのサービスで観た舞台二作品のキャラクターたちだった。

 アクロバティックの披露など、派手な演出やマイクパフォーマンスが多く、興奮した。

客席にも多くのキャストが座っていたらしく、サプライズでスポットライトを浴びていた。

最後にスポットライトを浴びたのは女の人だ。彼女も役者の一人であるようだったが、身にまとう雰囲気はむしろ地味なほどで、無地のシャツとジーンズというラフな出で立ちだった。

女性はおもむろに帽子や服を脱ぎはじめる。

すると、大きなキノコのぬいぐるみに小さな手足がついたような姿に変身して、他の共演者たちにに抱きつかれていた。

 

そうこうしているうちに役者の一人がこちらに歩いてきた。キャラクターに扮した彼が近づいてくるたびに緊張して、ひそかに期待もしていた。自分の前で立ち止まってくれるものだとばかり思っていた。

たとえば懸賞ハガキをかいたり、くじを引いたりした瞬間にふと「おそらく当たるんじゃないか」という確信めいた期待抱くことがあり、そんなときは実際によく当たる。

今回も似たような感覚をもっていて、しかし期待をしすぎるとかえって外れることも分かっていたので、頬が緩むのをぐっとこらえていた。

彼は私の前を素通りして、左隣に座っていた学生時代の同級生の前で立ち止まる。

笑顔で話しかけて、ブロマイドのようなものを渡していた。

なんでも、アンケートの回答内容が秀逸だったらしい。

私は恥ずかしくて、いたたまれなくて、きっとその時はひどい顔をしていたはずだった。

ようやく立ち上がろうという気になったのは、すべての客が引けて、清掃員に嫌な顔をされた頃だった。もうすっかり劇場を取り巻く非日常は去って、生活だけが残っていた。

劇場を出てしばらく歩いていると、職場になにか忘れ物をしたような気になってきた。何を忘れたのかもわからないのに、とにかく落ち着かない気分で、居ても立っても居られなかった。

いったい何を置いてきたのか、戻るほどの価値があるのか考えながらも、足はすでに忘れ物を取りに向かっていた。

 

▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼

 

フロアは私の預かり知らぬ所で改装されていたようで、ゲームセンターになっていた。

照明はすべて落とされ、緑色の非常灯だけが足元を照らす。明確に来訪者を拒絶していた。

改めて周りを見渡すと、いつの間にか大型ショッピングモールのような施設になっていたようで、そのうえすべてのテナントが廃墟だった。

入り口には2段階のセキュリティ扉がある。鉄製のようだった。扉の横に取り付けられたテンキーに数字を打ち込んで入室するらしい。

たまさかに扉の前を通りかかった守衛さんが手順を説明しながら通してくれた。彼がすべての手続きを済ませたので、特に番号を入力することもなく通過できた。

私といえば、次回からはどうやって入ろうかなどとぼんやり考えていたのだった。

コンクリート打ちっぱなしの通路は圧迫感があり、実際よりも窮屈に感じた。

似たような扉を何枚か抜けると、突き当りに小さな受付窓があった。

この先に事務所があるようだった。受付窓そのものが扉になっていて、ここから事務所に出入りできるらしい。

古いアミューズメント筐体が迷路のように配置されていて、7割ほどは電源が入っているようだった。

事務所部分だけでも500坪ほどの敷地があり、3つのエリアに区画がわけられていた。

UFOキャッチャーや子供向けのカードダス、プリクラ、アミューズメント商品が並ぶA区画。

作業台やデスク、事務用品が雑多に置かれ、ガラス製の巨大な冷凍庫や冷蔵庫には多数の食品が収納されているB区画。

音楽ゲーム格闘ゲームを中心に置きながら、シューティングゲームや卓球台なども置かれたC区画。

私はB区画に向かった。忘れ物が何だったのか思い出したのだ。

B区画には人影があった。顔は靄がかっていて、はっきりとは判別できなかったが、中年の男性のようだった。

彼は幽霊のように私のあとを付け回してくる。2歩ほどの距離を保ちながら、私の動向を逐一観察しているのだ。そのうち、見ているだけでは飽き足らず、話しかけてくるようになった。

興味のわかない話題を一方的にまくし立ててはニヤニヤと反応を伺ってくる。私のほうも、嫌悪感を隠さずにいた。

 

巨大な冷凍庫群のひとつを覗きこむと、色とりどりのアイスクリームが並んでいた。

レディボーデンほどもある大きなカップアイスには、アニメの絵柄が描かれている。

見ると、全部で6話あるようだった。アイスを食べるとひと口ごとに物語がわかるようになるらしい。

私が手にとったのは5話だった。

一気に6話を「食べる」のは無理だと思い、冷凍庫に戻した。

ひと口だけ食べて我慢するという芸当もできそうになかった。

 

ふと我に返る。

この場所には着替えを取りに来たのだった。今すぐ着替えて帰らなければならない。

私はその場で上半身の衣服をすべて脱いだ。

中年の男性は相変わらずそこに立っていたので、用事がなければ今すぐ立ち去るように言った。しかし、一向に消える様子はない。

おぞましいという言葉がぴったりだと思った。

こちらが意識するのも癪だったので、そのまま着替えを続行した。

結局、中年男性は着替えが終わるまでその場を動くことはなかった。

 

 気を取り直して「ぷよぷよ」でもやってから帰ろうと思い、古めかしい筐体にコインを投入したが、どうやら故障していたようで、画面には何も映っていなかった。

 

*1:実際のところ、顔と名前くらいしか知らない。なぜいきなり出てきたのだろうか。

0528下宿部屋の話

知らない街の大きな街路を歩いていた。

正確にはまったく知らないわけではないようで、進む方角の正しさだけを確信していた。

なにかやるべきことがあったような気がするが、思い出そうとすると頭に靄がかかったように意識が遠ざかっていくので、何も考えないように努めていた。

路地は人で賑わっていたような気がする。

ついでに同行者がいたような気もするが、誰だったのかも思い出せないし、もうそこには誰もいなかった。

映画「ライフ・イズ・ビューティフル」を思いおこすような古めかしくも統一された外観の街並みに、「フル・モンティ」の工場地帯のような雑然とした雰囲気の建物も混ざっていた。治安はあまり良くないようだった。

掲示板に彫られた街の案内図を眺めたあと、突然「家に帰ろう」と思い立った。

路地の坂道をまっすぐに下った先、防波堤にほど近い立地の建物に下宿しているらしい。メインはショウクラブで、おまけのように住居空間がくっついている寸法だ。

玄関が2つあり、坂道の途中にある方が下宿部分の玄関だった。

そこから数メートルほど港に近づくとショウクラブの入り口があった。派手な装飾が施されており、少し恥ずかしい。

狭い階段をおりていくと客席入り口に辿り着くのだという。

夕方だったので、劇場はまだ営業していない。それに私は住居側の玄関にしか出入りが許されていないので、どっちみち入れないのだ。鍵を取り出しながら、許可された方の入り口へ向かった。

玄関を開けてすぐの場所に、私に割り振られた部屋がある。

部屋にある大きな防音扉の向こうはステージになっていた。楽屋は上階にあり、演者は楽屋から私の部屋を通ってステージに出ることが多い。

プライバシーは無いが、特に気にならなかった。むしろ好ましいとさえ思っていた。

それなりの期間をこの部屋で過ごしているはずだが、楽屋である上階に続く階段を一度も見たことがないので、どこかに隠し通路があるのかもしれない。


部屋からは長い廊下が伸びていて、数メートルごとにゆるい段差がある。

廊下の中央ほどに薄い暖簾がかけられており、これをめくると客席が一望できるようになっていた。防音扉を設置した意味とはなんだったのだろうか。

客席に降りることもできるようだったが、私はこのエリアに立ち入ることが禁じられているため、誰かに見つかってしまう前にその場から立ち去った。

廊下は広く、ホールのようなつくりになっており、室内干しされた大量の洗濯物が柔軟剤の芳香を放っていた。

そのうえ、実際は物置のように使われているようで、ガラクタや小道具なども雑然とした様子で箱に詰め込まれている。ショウで使用するであろうハリボテも多く、そのうちの数個はおそらく私の作ったものだった。

 

家主はショウクラブのオーナーママも兼任している、肥えた中年女性だ。

 物言いはきついがお人好しな面もあって、行くあても所持金もない私のような人間の面倒をよく見る。

いつだったか、店のカウンターで身の上話話をしたら、下働きを条件に住まわせてくれるようになったのだ。私と似たような流れで住み着くことになった人もやはり数人いて、みんなで下働きをしたり、たまにはステージに出してもらったりもしていた。

 

 

その日は楽屋が慌ただしい雰囲気に満ちていた。なにかトラブルが発生したようだった。

役者が揃わないというので、私を含めたありあわせのメンバーで本番に挑むことになった。指定された曲を舞台裏で一度だけ聴く。これを歌いながら踊らなければならないらしい。
チャンスだと思って代役に立候補してしまった浅はかさに気づくも、本番の時間は刻一刻と迫っていた。

 

ステージに出ると別人のように変貌して、歌って踊れるスーパースター!

……になれるわけもなく、案の定ミスを連発して、ステージでは転倒し、隣の人ともつれ、歌詞は飛び、さんざんな出来だった。客席はしらけきっていて、こちらの方も恥ずかしいやら泣きたいやらで頭が真っ白になった。

 

ステージは客席を挟んで向かい合わせに設置されていて、中央に花道が通っている。座り込んでいると、奥のステージから有名なアイドルグループが出てきて、観客はそちらの方になだれ込んでいった。

みじめだった。
 

0525 電話する女

祖母の家にいた。

片付けをしている最中のようで、家の中には古い家財道具が積み上がっている。私は手伝いにきており、こまごまとしたものを運んでは捨てたりしていた。

ふいに電話が鳴った。祖母が対応しているのを横目に、片付けを再開する。

埃をかぶってベタついた木彫り細工、誰にも読まれることのなくなった本、錆びて元の字が分からなくなってしまったブリキの箱。 私にとっては何の思い出も感慨もない品々であり、どんな感傷も伴わずに、都度分別してはゴミ袋へ投げ入れた。

遠くの部屋から声が上がった。祖母の声だった。

そこでは、タンスの隙間から鳥が出てきたのだという。 見ると、赤い目のオウムが羽をバタつかせながら祖母の手の中に収まっていた。羽の色は白く、綺麗だと思った。

「なんでこんなところに挟まったまま生きてこられたんだろうね」

祖母は首をひねりながらも、あっという間に植物で籠を編みあげて鳥かごの代用にしていた。

 

◆◆◆

 

いつのまにか周囲は真っ暗になっていた。

夜になっていたことにすら気がつかなかった。

驚いている私をよそに、祖母はなんでもないかのように寝支度を始める。特に珍しいことでもないようだった。 仕方がないので、今夜は泊まることにした。

寝支度をしていると、にわかに鳥が騒ぎ出した。 鳥籠を置いた部屋は応接間だ。

積み上がった書類をかき分けて中に入っていくと、部屋中央の大きな座卓に固定電話だけが置かれていた。受話器は上がったまま、机の上に伏せられている。

昼に祖母が受けていた電話だろう。何故かまだ通話が続いている確信があった。 私は受話器を持ち上げ、耳に当てた。謝罪しようと思ったのだ。

口を開きかけた瞬間、一拍の静寂が訪れたのち。

 

「」

 

泣き声とも笑い声ともつかない、激しい金切り声が響く。

鼓膜が破れるんじゃないかと思った。相手の方はといえば、息継ぎもなしに延々と叫び続けていた。何か言葉も混じっているようだったが、機械音のようで聞き取れなかった。

鳥の鳴き声で我に帰った。受話器を持ったまましばらく立ち尽くしていたらしい。腕が痺れている。

すでに叫び声は受話器だけでなく、部屋中のあらゆる場所から聞こえるようになっていた。慌てて電話を切ると、ふたたび静寂が戻ってくる。

ふと、視線を感じた。

壁一面の掃き出し窓はカーテンが引かれておらず、部屋の光が反射して外はうっすらとしか見えなかった。

目を凝らしてみると、庭の先に薄汚れた襤褸を着た女が立っていた。全身が土と血のようなもので汚れていて、元の顔立ちはわからなかった。女は何かを耳に当てていた。電話だった。

女は、口があるべき位置にただ開いているだけの穴を歪ませて、満面の笑みを作った。

瞬間、私はカーテンを閉めていた。

 

◆◆◆

 

祖母の家の庭に敷物を敷いて、食事を楽しんでいた。

父や母、叔母も参加しており、私は時折焚火の番をしながら話を聞いていた。和やかな雰囲気だった。

近所の道路を見ると、対向車線側の歩道を歩いている人影が見えた。祖父だった。 祖父は施設で寝たきりになっていたはずだった。誰もそんなことには気がつかない様子で歓迎する。以前にも増して痩せて目が落ち窪み、明らかに病人の容貌をした祖父は、それでも元気そうな様子で食事を始めていたので、私もそれ以上気にすることはなかった。

ふと不安になり、昨晩の出来事を家族に話した。 家族は怪訝そうな顔で私を見つめ、信じるとも信じないともつかない、曖昧な態度で話を聞いていた。少し落胆した、諦めたような表情にも見えた。

ふいに電話が鳴った。家の中からだった。

振り返ると、居間の窓際にあの女が立っていた。電話を耳に当てていた。

私をみて、弾けたように笑い出す。

家族もみんな、女と同じ声で笑っていた。

 

 

0524 花のある構内

 

おそらくどこかの大学構内にいた。

花を見に来たはずだった。

駐車場の先にある花のトンネルを抜けると、平野にポツポツと草が生えたような土地があった。うっすらと道になっているようだったが無視して歩き回っていた。池には水蓮が浮かんでいた。

空は薄暗かった。オレンジとピンクと紫が混ざり合ったような色だ。

私は一人だったが、周りを見ると大抵は恋人同士で来ているようだった。

少し歩くと、建物が見えた。和風の屋敷が並んでいた。

いつのまにか足元には砂利が敷かれていた。塀の外には柵が設置されていて、この隙間を通路として使うらしい。

 

◆◆

 

ツツジの花だったと思う。

眼前に一面のツツジがあった。

私は建物の中に入る気になれなくて、外周をひたすら歩いていた。屋敷はいくつかあって、中ではそれぞれ企画展や催し物をやっているみたいだった。

そのうち自分がどこにいるのかも分からなくなってきた。腰ほどの高さで咲いている花々は揺れていた。匂いは特になかった。

古い掲示板のようなものを見つけたので、地図が欲しいと思い、覗き込んだ。全ての掲示物は朽ちており、読める状態ではなかった。

そうしていると、背後から声をかけられる。

日焼けした顔の優しそうなおじさんだった。曰く、○○レンジャーだそうだ(とある戦隊モノだった。検索で出るとまずいので伏せておこう)。

絶対に違うと思うが、本人が言うのだからそうなんだろう。

おじさんの後ろにも何人かの隊員がいて、微笑みかけてくれた。なぜかとても安心したのを覚えている。

なんでも、この辺りの屋敷は入ってはいけないことになっているらしい。私は奥に迷い込みすぎたのだと聞かされる。

周りを見渡すと、たしかに私以外の客は誰一人いなくなっていた。

おじさんは道を指差し、水蓮の池まで戻るんだよと念を押す。

言われた通りに進んで行った先に、気になる屋敷を見つけた。多分、私にはここが目的地だったんだろうと思う。細い通路を抜けて門を潜ると、武家屋敷のような作りになっていた。

地面は土間だったので、蔵の方へ行ったのだと思う。

そこで何かを見た気もするが、なにひとつ記憶がない。奇妙な余韻だけがあった。

私は何故か外に出られなかった。

出ようと思ってはみるが、特にそこまで出たいわけではなかったので、扉の近くに立ち尽くしていた。

そこでは着物を着たおじさんが待っていて、私を送っていくと申し出た。曰く、戦国時代に活躍していた殿様らしい。

とにかく、その彼に連れ出されて、ようやく外に出られたのだった。

 

◆◆◆

 

私を助けた○○レンジャーたちは死んでいた。

体を裂かれて上半身だけになってすでに硬直していたり、内臓がはみ出て痙攣していたり、パイプ状のものに腹部を貫かれて壁に刺さっていたりした。

ピンクの人はロボットだったようで、シリコンの皮膚をすべて剥がされ、機械部分がむき出しになったままはりつけにされていた。彼女だけはまだ生きているようだった。

 

 

0521 猫殺し

 昔住んでた家と似た場所に一人で座り込んでいた。

 足元に私物が転がっていたので、すべて片付けようと思い立ち、何かを掴んだ。DS liteだった。

 ほど近くに懐かしいアドバンスのソフトを見つけたので、久しぶりに遊ぼうと本体に差し込んだ瞬間、DSが火花を散らしてショートした。

 

 飲み物を冷蔵庫にしまおうと扉を開けると、なぜか炭酸飲料のペットボトルでいっぱいになっていた。

 食材に隠すようにして何かの錠剤のシートが挟まっていて、何故か母親のものだと確信する。

 しばらくすると母親が誰かを連れて帰ってきた。父親ではない、高年の男性だった。着物を着ていた。

 母親は私に絵の仕事を紹介しようと、その筋で有名な人を連れてきたようだった。

知らない人だった。

 その老人の話はいかに自らの感性や贔屓の人間が優れていて他がダメかというような話ばかりでどうも気に入らず、ふてくされた返事ばかりしていたら気分を害し、帰ると言い出した。

 母親は慌てていたが、私は丁重な言葉で嫌味ったらしく帰宅を促した。

「君は今まで何をしてきた?その点○○先生は素晴らしい……」

 と言われ、○○先生なんて知らないのに

「趣味が合わないはずだ」と見栄を張って言い返し、後ろめたい気持ちになった。

 

 彼が庭まで出たところで、なにかを思い直したようで、

「作品を買いたい、一度見せてくれ」と言われた。

 最初は訝しんで断ったが、どうやら本気だったらしく、今度は私の方がうろたえた。

 人に見せるような、ましてや売るような作品など一つもないと気が付いたのだ。何度か庭から声をかけてもらったのに、冷や汗をかきながら玄関でじっとしていた。

 みじめだった。

 母親にも呆れたような目線を投げかけられる。

 しばらくしてから庭に出ると、痩せこけた不気味な男が少し遠くの場所で猫を殺していた。

 通報しようと一度家に戻るが、先に注意してからにすべきと思いなおし、庭に戻ってみると、その不気味な男は庭に侵入していた。

 殺した猫の首を掴んでぶら下げ、歩いて近寄ってくる。

 警察に連絡してもらおうと家の中に向かって必死で呼びかけるが声が出ない。声が出ないので誰も気がつかない。 返事が帰ってこない。

 家の中にはもう誰もいなかった。