0604映画館とゲームセンター

映画館にいた。

 

私はどこかの温泉施設からの帰りだったらしく、ぬるま湯の張られたケロリン桶を二つ両脇に抱えたまま座席に腰を下ろした。

映画の内容はまったく覚えていなかった。

覚えてもいない映画に感動して泣きじゃくりながら、洗面器の水を飲み干した。

すると右隣の席から「うるさいよ。何飲んでんの」という声が聞こえてきた。

強い避難めいた声色に怯みながらそちらを伺うと、TKO木下*1だった。

そう言っている自分自身といえば背中を丸め、座席に浅く座ったまま不機嫌そうに貧乏ゆすりをしていて、そちらの方が他の人に迷惑だろうと内心で思っていた。

木下の尻と背もたれの間に隙間があったので、

「どうもすいませんね」

などと言いながら洗面器をねじ込むと、悪態をつきながら席を立っていった。

振り返るとすっかり消えてしまったようで、もはやどこにもいなかった。

 

映画はクライマックスのようだったが、既にどうでもよくなっていた。はやく終わればいいのにとすら思った。内容はやはり覚えていなかった。

ようやく映画が終わると、今度はなにかの予告編が始まる。奇妙なアプリにまつわる映画だった。

なんでも、目的地までの距離、方向のみを表示する地図アプリなのだそうだ。

自分が通った経路周辺のCGだけが表示されていく。道を誤ったりして分かれ道まで引き返すと、先ほど通った道は画面から消去されるという寸法らしい。

主役である男女が口喧嘩をしながらも、目的地を目指し旅をするというロードムービーのようだった。

普段なら興味を持たないようなこの映画に、なぜか強烈に惹きつけられた。公開日にはかならず見に行こうと心に誓うほどの魅力を感じていた。

どこがそんなに良いのか自分でも全くわからなかった。どこかで「くだらない」と思っていたのも確かだ。

監督はたけしで(彼の映画はほとんど観ないが、こんなストーリーの映画を作るわけがないことだけはわかる) 、いつの間にか先ほどまで木下が座っていた席についていた。

座席には相変わらずケロリン桶が置かれているが、気にしている様子はなかった。

さすが大御所だなと思っていると、

「いやあ、苦労したんだよね。あの仕組み作るの」

と話しかけてきた。この映画のために作ったアプリなんだそうだ。

感心していると、映画館の舞台にキャストが登場した。さいきん、サブスクリプションのサービスで観た舞台二作品のキャラクターたちだった。

 アクロバティックの披露など、派手な演出やマイクパフォーマンスが多く、興奮した。

客席にも多くのキャストが座っていたらしく、サプライズでスポットライトを浴びていた。

最後にスポットライトを浴びたのは女の人だ。彼女も役者の一人であるようだったが、身にまとう雰囲気はむしろ地味なほどで、無地のシャツとジーンズというラフな出で立ちだった。

女性はおもむろに帽子や服を脱ぎはじめる。

すると、大きなキノコのぬいぐるみに小さな手足がついたような姿に変身して、他の共演者たちにに抱きつかれていた。

 

そうこうしているうちに役者の一人がこちらに歩いてきた。キャラクターに扮した彼が近づいてくるたびに緊張して、ひそかに期待もしていた。自分の前で立ち止まってくれるものだとばかり思っていた。

たとえば懸賞ハガキをかいたり、くじを引いたりした瞬間にふと「おそらく当たるんじゃないか」という確信めいた期待抱くことがあり、そんなときは実際によく当たる。

今回も似たような感覚をもっていて、しかし期待をしすぎるとかえって外れることも分かっていたので、頬が緩むのをぐっとこらえていた。

彼は私の前を素通りして、左隣に座っていた学生時代の同級生の前で立ち止まる。

笑顔で話しかけて、ブロマイドのようなものを渡していた。

なんでも、アンケートの回答内容が秀逸だったらしい。

私は恥ずかしくて、いたたまれなくて、きっとその時はひどい顔をしていたはずだった。

ようやく立ち上がろうという気になったのは、すべての客が引けて、清掃員に嫌な顔をされた頃だった。もうすっかり劇場を取り巻く非日常は去って、生活だけが残っていた。

劇場を出てしばらく歩いていると、職場になにか忘れ物をしたような気になってきた。何を忘れたのかもわからないのに、とにかく落ち着かない気分で、居ても立っても居られなかった。

いったい何を置いてきたのか、戻るほどの価値があるのか考えながらも、足はすでに忘れ物を取りに向かっていた。

 

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フロアは私の預かり知らぬ所で改装されていたようで、ゲームセンターになっていた。

照明はすべて落とされ、緑色の非常灯だけが足元を照らす。明確に来訪者を拒絶していた。

改めて周りを見渡すと、いつの間にか大型ショッピングモールのような施設になっていたようで、そのうえすべてのテナントが廃墟だった。

入り口には2段階のセキュリティ扉がある。鉄製のようだった。扉の横に取り付けられたテンキーに数字を打ち込んで入室するらしい。

たまさかに扉の前を通りかかった守衛さんが手順を説明しながら通してくれた。彼がすべての手続きを済ませたので、特に番号を入力することもなく通過できた。

私といえば、次回からはどうやって入ろうかなどとぼんやり考えていたのだった。

コンクリート打ちっぱなしの通路は圧迫感があり、実際よりも窮屈に感じた。

似たような扉を何枚か抜けると、突き当りに小さな受付窓があった。

この先に事務所があるようだった。受付窓そのものが扉になっていて、ここから事務所に出入りできるらしい。

古いアミューズメント筐体が迷路のように配置されていて、7割ほどは電源が入っているようだった。

事務所部分だけでも500坪ほどの敷地があり、3つのエリアに区画がわけられていた。

UFOキャッチャーや子供向けのカードダス、プリクラ、アミューズメント商品が並ぶA区画。

作業台やデスク、事務用品が雑多に置かれ、ガラス製の巨大な冷凍庫や冷蔵庫には多数の食品が収納されているB区画。

音楽ゲーム格闘ゲームを中心に置きながら、シューティングゲームや卓球台なども置かれたC区画。

私はB区画に向かった。忘れ物が何だったのか思い出したのだ。

B区画には人影があった。顔は靄がかっていて、はっきりとは判別できなかったが、中年の男性のようだった。

彼は幽霊のように私のあとを付け回してくる。2歩ほどの距離を保ちながら、私の動向を逐一観察しているのだ。そのうち、見ているだけでは飽き足らず、話しかけてくるようになった。

興味のわかない話題を一方的にまくし立ててはニヤニヤと反応を伺ってくる。私のほうも、嫌悪感を隠さずにいた。

 

巨大な冷凍庫群のひとつを覗きこむと、色とりどりのアイスクリームが並んでいた。

レディボーデンほどもある大きなカップアイスには、アニメの絵柄が描かれている。

見ると、全部で6話あるようだった。アイスを食べるとひと口ごとに物語がわかるようになるらしい。

私が手にとったのは5話だった。

一気に6話を「食べる」のは無理だと思い、冷凍庫に戻した。

ひと口だけ食べて我慢するという芸当もできそうになかった。

 

ふと我に返る。

この場所には着替えを取りに来たのだった。今すぐ着替えて帰らなければならない。

私はその場で上半身の衣服をすべて脱いだ。

中年の男性は相変わらずそこに立っていたので、用事がなければ今すぐ立ち去るように言った。しかし、一向に消える様子はない。

おぞましいという言葉がぴったりだと思った。

こちらが意識するのも癪だったので、そのまま着替えを続行した。

結局、中年男性は着替えが終わるまでその場を動くことはなかった。

 

 気を取り直して「ぷよぷよ」でもやってから帰ろうと思い、古めかしい筐体にコインを投入したが、どうやら故障していたようで、画面には何も映っていなかった。

 

*1:実際のところ、顔と名前くらいしか知らない。なぜいきなり出てきたのだろうか。